2005年のあゆみ    

12月26日
伊佐地域の活性化を目指す有志の忘年会がありました。乙津忠義氏の経営される愛高梅園が会場となりました。この梅園は12名程度の宿泊も可能だということで2006年2月より梅の花を愛でながらの宿泊体験が予定されています。オーナーに伺ったところ、「便利とは言い難い手作りの宿泊体験」を通して現在の世の中での生き方を見つめ直す時間を提供したいということです。梅園は元の養蚕場を整備したもので管理棟として使用されていた建物を手入れして宿泊施設としてあり、北薩病院の近くの丘陵にあります。
 

12月17日
ゆずの出荷が終わりました。予約分をすこし残して倉庫が空っぽになりました。こんなことは初めてです。今年は8月から青ユズの出荷を始め、ゆずこしょう作り、ゆず絞り体験などすこしずつ消化してきたのが功を奏したようです。SHOPは早々と店じまいしました。今年明確になった課題を踏まえ、来年の事業計画をじっくり練り直し、また、勉強会などへ参加する時間が十分とれそうです。
今晩から明日にかけて大雪が予想されています。外の仕事はそこそこで切り上げて年賀状にとりかかります。

12月5日
朝起きると一面の銀世界。今シーズン初めての雪が降り積みました。しかしながら雨どいからはしきりに雫が落ちており、寒波はさほど強くはないようです。そのうち屋根からドスンドスンとまとまった雪が落ちる音が聞こえてきます。陶器瓦は雪の滑りが格段にいいですね。昼過ぎには雨交じりになったりであちこち白い雪が残る程度になっていました。ゆず畑にウサギの足跡を見つけました。先日のフンに続き決定的な証拠を遺しています。ワナを仕掛けると獲物の第一号になりそうな相手です。

11月28日
研修生を含めた「じまん市」参加者の反省会&打ち上げがありました。今回の入場者数は10万人、売上は2億2千万円。また、じまん市大賞には伊佐の焼酎と黒豚を使ったこだわりの製法による「伊佐の焼酎豚」が選ばれるという快挙を成し遂げました。地域と行政が一緒になって盛り上げてきた地域おこしに弾みがついたところです。十曽池キャンブ場近くの反省会会場では美味しいジンギスカン料理に舌鼓をうち、目にやさしいブルーベリーリキュールのとろけるような甘さに酔いしれ、明日の地域おこしに時間がたつのを忘れて熱い議論が交わされました。
 

11月20日
恒例の石井集落の運動会がありました。2、3日前までは雨の予報もあって延期の心配もありましたが、当日はカラリと晴れ上がり、絶好の運動会日和となりました。優勝旗返還につづき1年ぶりのラジオ体操のあと4チームに分かれての熱戦が始まりました。また、来賓として来ていただいた市長、市議、小・中学校の校長先生と役員を主体とした特別チームを編成し、競技に花を添えました。昨年に続き白組の優勝、わが赤組は準優勝でした。怪我もなく無事に全てのプログラムを終了し、駆けつけてくれた駐在さんの防犯への呼びかけのあと閉会。会場の後片付けを終えて公民館にて楽しみな慰労・反省会。来年の大会に向けての真剣な議論が聞かれました。二次会は何コースかに分かれて行われ、私は体育部長コースに参加しました。会場では11時ころからチビヂヒ飲み始め二次会は23時近くにお開き。長時間の飲み会でしたが自転車で無事帰り着きました。
 

11月18日
地域特産品を開発し販売促進を行う担い手づくりを目的にした研修に参加してきました。
千葉の幕張メッセでは18日から20日まで今回で16回目となる「じまん市」という日本一の物産・観光展が行われており、全国から250市町村5000品が処狭しと並べられており、累計来場者数も150万人と非常な賑わいをみせています。
研修はブラント確立手法の理論に始まり、実際に地域おこしで成功している事例の紹介、百貨店のバイヤーから見た商品開発とマーケティングの実態、そして「じまん市」を視察するにあたってのポイントを学習したあと会場を視察しました。2時間半ほどの視察時間があり自分の目と舌で味覚や売り方を観察して必要なものは買い込みます。次にグループに分かれての討論会。自分の開発商品を持ち込み、講師を中心に「売れる商品にするにはどのようなやり方が必要か」を議論します。パッケージの改善、売り方、味覚の改善。さすがにプロは鋭い指摘をします。次のステップに向けての課題がはっきりとしました。自分の商品に対してのこだわり、思い入れが大切です。

11月14日
明日からの狩猟解禁に先立ち、狩猟時に着用するベストと帽子が届きました。大日本猟友会の刺繍と安全標語が入った鮮やかなオレンジと黄色のものです。組織の略称はJRとなっています。ところで昨日、ゆず絞り体験に来られたMさんよりイノシシのワナの意外な仕掛けをお聞きしました。ドラム缶を斜めに設置しておくと蹄の動物が脚を踏み入れると後戻りができないということです。餌で適当に誘導しておくとイノシシが頭から入って逃げられずにもがいているところを捕獲するんだそうです。ゆず畑の一角で試してみようと思っていますが、運良く捕獲したとしても今度は始末が大変です。どこか引き取ってくれるところがあればいいのですが。

11月5日
名刺作りに挑戦しました。インクジェット専用の名刺用カードをB電器で購入しました。帰りにNムタをのぞいたらもう少し安い値段で何種類か置いてありました。A−oneの51131という品番で白無地で両面印刷ができるA4版10面の10枚入り504円です。印刷ソフトはA-oneのホームページ(http://www.a-one.co.jp)より無料でダウンロードした「ラベル屋さん」の使い勝手がいいです。パワーポイントと同じ使い方で、1コマ作れば印刷時に全面印刷などが指定できます。イラストも程よく仕上がりました。すこし乾燥時間を設けたほうが良いようなので、念のために先に裏面の簡単な文字を印刷してから表面を印刷しました。何種類でも必要枚数だけ作れるので大変便利なツールです。

11月1日
冬鳥ですかね。キビタキという小鳥が今日から住み着きました。ヒーヒーと悲しげな鳴き声とカクカクというような鳴き声の2種類を使い分けています。昨年は軽トラックのミラーやフロント付近に毎日規則正しくフンを並べてくれました。この鳥は鏡が好きらしく、鏡に映った自分の姿に対して攻撃を加えているのか飛び跳ねます。テリトリーを守る習慣があるのかも知れません。今年は初めて買った新車の乗用車が気に入ったらしく、ミラーに止まったり、窓枠に移ったりしながらフンを並べています。かなり傍まで近づかないと逃げません。おそらく昨年住み着いた鳥と同一ではないでしょうか。ちょっと捕虫網での捕獲は無理のようです。とりあえず両ミラーをタオルで包みこんでいますが、タオルの上にフンが並んでいます。何かうまい対策はないものでしょうか。

10月23日
10月だというのに出水・伊佐地方に霜注意報がでました。唐辛子の露地栽培をしている身にはたまりません。あちこちにあるもの全てに覆いをするのは不可能です。ビニールハウスの骨組みがある場所だけでも守ろうと必死の抵抗を行いました。シートを広げてカバーしようとしましたが、骨組みが錆ついておりなかなか滑ってくれません。シートを物干し棹でつついて何とかカバーをしました。唐辛子が霜にやられてしまっては折角立ち上げたゆずこしょうづくりがストップしてしまいます。しかし、貴重な経験でもあります。来年以降は早めの降霜にも耐えられる唐辛子栽培にしようと思います。あっ、今日は”霜降”でした。

10月16日
ポットのイチゴをプランターに植えました。20×50センチくらいのプランターにチドリに4本ずつ配置しました。合計30本。イチゴは実がつく方向が決まっているので実のつくほうを外側にして植えると手入れや収穫が楽で見映えもよくなります。親株から延びてきたランナーのツルと反対側に実がつくのでランナーを切るときは目印として残すように切ります。昨年はハーブと混植しましたが、イチゴの旺盛な成長力に押されてしまいました。また、露地植えもしましたが、ランナーが随分はびこってしまい、始末に一苦労したのでプランターだけにしました。肥料はやりません。すっぱめのサラダイチゴを目指しています。観賞用にもなります。

10月10日
ミツバチの採蜜にトライしました。巣の位置から2メートルの地点で巣箱を逆さまにして予備の巣箱を上から被せ、下の巣箱をトントン叩くとハチは上にある予備の巣箱の方へ移動するという教えに基づき30分ほど叩きました。この時点では外出から戻ったハチは巣箱がないのでブンブン飛び交っています。半分ほど移動した時点で残りの群れを強制的にハケで掃き上げて新しい巣箱を元の位置においたところ、激しく飛び交っていたハチがすっーと新しい巣箱におさまっていきました。元の巣箱は入り口を塞ぎ自宅の庭に移動して残りのハチを追い出していよいよ採蜜です。巣房は9個ほどで蜜は付け根の部分(自然の状態では一番上部)に多くありました。巣房を折り取ってボウルに山盛りにし、蜜のある部分だけ例のゆず用の手動式ジューサーで絞ってみました。意外に多くの蜜をゲットしました。1リットルくらいでしょうか。ただ、大変残念なことに、翌日、巣はもぬけの殻となっていました。砂糖水を与えるなどしてみたのですがこの時期に巣房を失うのはハチにとって耐えられないことだったのでしょう。また、来春、分封の捕獲に努めることとします。

10月7日
ぼちぼち稲刈りが始まりかけたのですが、この何日か雨がパラついて様子見のところが多いようです。鹿児島県の作況指数は99〜101と報道されていますが、台風14号の影響で倒れている田んぼも散見されます。柿は豊作で枝がたわんでいますが、緑色のカメムシが発生しており、早めの収穫が必要です。栗は裏年のようでポツポツでした。ゆずは黄色く色づかなければよく分からないのですが、平年並みのようです。青果での出荷とゆずこしょう造りでそこそこ忙しい日々です。

9月27日
空気や空の色がめっきり秋色になりました。今朝の最低気温は17度です。今年初めてモズが高鳴きをしていました。ミミズでも探したのでしょうか、田んぼの畦やゆず畑をイノシシが掘り返しています。今が一番食物が少ない時期なのでしょう。急遽、電気柵を張り巡らせて田んぼだけはカバーしました。今年の猟期はすこし力をいれて害獣対策にあたりたいと思います。

9月18日
公民館の広場で十五夜の催しがありました。子供は相撲と花火、大人は観月会。しかし子供の数はこれで全部。80世帯といっても子供のいる世帯は4、5軒のようです。そういえば子供の声が聞こえる機会が非常に少ないです。などと言いながらすこし飲みすぎたようです。
  

9月13日
ながらく準備を重ねてきた「ゆずごしょう」ですが地元のJA産直センターで販売を開始しました。年により唐辛子やゆずの出来不出来が味に関係すると思われますが、着実にステップアップを図っていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。ネット販売は「SHOP」でおこなっていますので、ご入用の方はメールでご注文下さい。

9月12日
恒例の夏合宿に参加してきました。通常は朝夕砂浜で稽古するのですが、前回から稽古の一部を体育館で行うようになったため稽古の中身がより濃くなり、腰に重い疲労が残るくらい稽古に興じてしまいました。天候にも恵まれ、全国各地から持ち寄った酒類で毎日の懇親会は最高の盛り上がりでした。最近の早寝早起きの習慣が現地でも活かされ、酒の席は早めの時間に退出し、深酒で吐きそうになりながら朝稽古をすることもなく、きわめて健全で充実した合宿でした。型のビデオも出来上がり、次回の合宿に向けて型の練習を積み重ねたいと思います。

9月5日
台風14号が接近しています。明日の15時には熊本市の南40キロ付近にあるという予報も出ています。その予報が当たったらうーちー村直撃の可能性大です。ゆずはギザギザに傷つき、唐辛子は倒伏の惨状が予想されます。それに強い台風のため家屋の被害も心配されます。

さて、台風に乗じて何か講じることはないかなと考えた結果、アシナガバチの駆除を行うことにしました。ゆず畑のミツバチの巣の近くに長いことかかって造ったソフトボール大のアシナガバチの巣があります。風雨の中そっと近づき巣をゆずの枝から切り離してきました。台風が去ったあとは雲散霧消しているものと思います。

ゆず畑を観察していて分かったことですがスズメバチが単独で頻繁にあたりを偵察に訪れ、アシナガバチの巣を発見すると我が物顔でアシナガバチの巣から幼虫を捕食します。アシナガバチの親は何倍もの大きさの外敵になすすべもなく巣のまわりでオタオタしているだけです。これこそ弱肉強食の典型例かなと思いました。それにひきかえミツバチは集団でスズメバチに対抗します。先日、小型のスズメバチがミツバチの巣を窺っているところに出くわしました。ミツバチは巣の外で集団で対抗アクションをしています。巣の中に入り込もうとしたら集団で掴みかかって体熱で圧殺してしまうという技を持っているのだそうです。

8月9日
お盆の需要を見込んで青ユズを出荷してみました。直径5センチ60グラムというところでしょうか。地元の農協の産直センターに入会金1千円なりを支払って会員登録し、商品ごとのバーコードを発行してもらいます。バーコードを貼った商品を毎朝8:30〜9:30までに空いた場所に並べ、2〜3日経過後売れ残りは自分で持ち帰ります。売値は生産者が決定し手数料は15%です。16畳程度?とあまり広くないので同じ品目が集中しないように数量制限があります。量がはけるわけではありませんが傾向がつかめ、他の品目を出荷する際の参考になるので当面は続けることにします。

7月29日
ゆずこしょうを作る時期が近づいているため、製品を入れるガラス瓶の下見にでかけました。宮崎市のK王冠醸材というところでかなりの種類のサンプルが並んでいます。昨年は試作品をウニ瓶に詰めましたが、もうすこし広口で背が低いほうが使いやすいと思います。3種類ほどサンプルをもらい、実際にゆずごしょうを詰めて食べてみることにしました。また、ラベルについても瓶にあわせる必要があります。ラベルの貼りやすさ、手に持った感覚などまず自分で実験してみます。それからウニ瓶についている中蓋は普通の瓶にはついていないということなので、上蓋を閉めたあとキャップシールというもので密封する必要がありそうです。ユズ、唐辛子ともに順調に生育しています。生産体制の準備は着々と進んでいます。

7月28日
土用の今日はドクダミを採りました。目的はもちろんドクダミ酒を造るためです。コンテナ一杯採ったところまでは簡単でしたが、洗ってゴミを取り除いたりする段階でかなりの重労働に変わりました。長いものは束にして吊るし、短いものはザルに拡げて陰干しします。洗う時に長さで分けておいた方が楽をします。ものの本によると白い花が咲いている時期が有効成分が最も多いので採取の適期ということですが、今回は実がついている状態ですこし時期遅れかもしれません。ところでドクダミ酒というのは一日にちょっとずつ飲むと薬効があるらしいのですが、晩酌代わりに飲んで薬効があればこんな旨い話はないと思っています。また、ドクダミの青汁を発酵させてハチミツを加えてワインにすると薬効が向上するようです。アルコール度8%のワイン720mlが10kgのドクダミ草からできるそうです。発酵の経験を積んでぜひともチャレンジしたいことです。

7月27日
トウガラシの植え付けがやっと終わりました。全部で5種類400本弱。種から育ててあまりにその成長の遅さに呆れています。また、種類ごとに離して植える必要があり、あちこちに潅水に回っています。ゆずこしょうへ加工する分はゆずの生育に合わせて8月末から9月にかけて実がなればいいと考えています。柚子の木の害虫を防ぐために草木と一緒に燃やして薫蒸する分は時期的にはいつでもよく、実がついたまま引き抜いて乾燥保存しておく予定です。先日ゆず畑でトウガラシを燃やして実験をしてみました。煙を吸い込むと呼吸困難の状況になり、かなり効果が期待できます。いろいろな種類を栽培して加工や防除に最適な一品を探り当てる予定です。

7月15日
南九州の梅雨明けが発表されました。いよいよ夏本番です。運良くトラクターも尾輪の修理が終わり、雑草地の耕運を行いました。広い場所はトラクターで耕運したほうが草刈り機で切るよりも効率的に疲れないで処理できます。作物の畝幅を広めにしておけば畝の間もこの方法で可能です。省力化の一手法です。
前からあるミツバチの巣が靜かです。昨日まであった出入りが今日はありません。巣板を割ってみると虫がうじゃうじゃ。アリもゾロゾロ。ハチノスツヅリガの被害にあってしまいました。蜜などまったくありません。巣板は全て焼いて害虫を駆除。アリが着きだしたら要注意。定期的に巣板まで観察する必要があります。

7月10日
7月に入ってから雨続きでまともに陽がさしません。唐辛子のポット苗は大雨のおかげで根が露出して倒れたりしています。しかもこの何日かで小さなアマガエルが異常に増えてウッドデッキにはウジャウジャはりついています。そして弱々しい唐辛子の苗にも飛びついています。苗のうちから支柱が必要になるとは思いませんでした。

7月2日
肥料についてすこし考えてきたことがあります。「農業は土作り」ということがよく言われます。確かに良い堆肥を施した場合は作物の出来がかなり良くなります。しかし、良い堆肥を作るのはちょっと労力を必要とします。サラリーマン時代に読んだEM菌の効用が気になり、霧島で有効微生物の研究をされているKさんの研究所にお邪魔しました。役所を退職された後、本格的に環境浄化や有機農業の支援に取り組んでこられたKさんの農業に対する考え方は私の考え方に相通じるところが非常に多く、1時間半程度お話を聞くなかで多くの具体的手法を教えていただき、すっかり感動し、有効微生物を活用した手法での農産物の生産に確信を持ちました。また、Kさんの奥様もご主人と共にはじめての農業に取り組んでこられた経験談を話してくださり、連れ合いともども明日からの具体的な姿が見えてきたように思います。貴重な一日でした。世の中にはすごいひとがいます。

6月26日
ユズの樹の見回りをしたところ害虫のゴマダラカミキリがウヨウヨしています。さっそく火箸で捕まえて踏み潰す。その数50匹はいたでしょうか。よーく観察したお陰?で新たにスズメバチの巣を2個も
発見。今回はソフトボール程度の大きさです。小雨の中、例によって完全防御の服装で駆除開始。まず巣の出入口をガムテープで塞ぎ、相手の攻撃力を最小限にしようという作戦を試みましたが、ガムテープがなかなかピッタリとくっ付かず、ハチも必死ではがそうとするので、すぐにはがれてしまい全面対決。空中に横一列に8匹くらい並んでから一斉に顔面をめがけて攻撃してきます。こちらは望むところで捕虫網を振り回し、5〜6匹は捕まえたでしょうか。何匹かは取り逃がしましたが、無事に駆除ができました。すっかり自信をもって次の巣にとりかかり、こちらは巣の大きさは同じくらいですがハチの数がやや少なく、あっけなく落城してしまいました。結局30分くらいで駆除は完了。しかしながら完全武装のために顔面をふくめ上半身は汗びっしょりでした。

6月21日
11日に梅雨入りしたのも名ばかりで、雨がまったく降りません。植えつけた作物には毎日の潅水が日課になっています。まとまった雨が降らないと田植えができない水田もあります。雨雨降れ降れ。

ゆず畑にスズメバチの巣を発見。とっくりを逆さにしたような蜂の巣にスズメバチが3匹。これから巣を拡大する様子。さっそく防護網などのフル装備で駆除にとりかかりました。このハチは直線的に攻撃をしてきます。一匹ずつ捕虫網で捕らえてペンチで捕殺。これが10数匹もいたらちょっと危ないでしょう。巣ではハチの子が巣房をガリガリかじって成長しています。油炒めにして味見してみます。
今日はもう夏至です。

6月20日
とうとう保健所より営業許可証が届きました。(指令大保第17号の11)営業所の名称はゆず工房、営業所の所在地は鹿児島県大口市牛尾150−3、有効期間は平成17年6月20日から平成22年7月31日まで、注意書きとしてこの許可証を店頭の見やすいところに掲示すること。今回かかった費用は、会員会費5年分7500円、会員指導費2000円、許可申請証紙代21000円の合計30500円でした。このほか不測の事態に備えての共済保険への加入が必要になります。まあ、何はともあれユズの加工がスタートしました。これからビンとラベルを決めます。ちなみにユズと唐辛子は順調に生育しています。

6月15日
ゆずこしょう製造の許可申請をしました。ビン詰めの食料品の製造販売を行う場合は保健所の許可が必要です。自宅台所以外の場所でそれなりの設備が整っていることが要件です。幼稚園の跡設備を転用することにしました。店舗としての販売スペースもとれます。倉庫としても十分なスペースです。そば屋としても十分利用できます。あとは腕を磨くだけになりました。

6月11日
とうとう梅雨入りしました。雨前にしておく作業はほとんど済ませてあります。しばらく机上での仕事が続きそうです。
例のスズメの巣にはまだヒナが2羽ほど残っている様子。二晩はヒナを手元に置きましたがまた元の巣に押し込んできました。雨の日にヒナの餌を確保するのは困難なことだということがよく分かり、親鳥に任せることにしました。

6月9日
軒下に鳥の糞、親鳥が餌を運んでいる様子。そしてかすかな鳴き声。ああ、ありました。すずめの巣を発見。軽トラを横付けし、荷台に脚立をたてて巣の取り除き作業を実施。藁クズと一緒に二羽のヒナが飛び出してきました。すこし歩き回る程度でまだ羽毛が生え揃ってないので飛べません。しばらく世話をしてみることにしました。まずは昔使っていたメジロ籠を取り出して住処を確保。暗いところへ逃げ込もうとするようなので暗室を作ってやりました。次は餌採り。虫網を片手にバッタやイナゴ、アブ、クモ、カメムシなど片っ端から採って持ち帰り、食事時間。縁が黄色のクチバシをこじ開け、ピンセットで押し込みました。柔らかい虫はどんどん飲み込みますが、コガネムシは目をシロクロさせて首を振って吐き出してしまいました。どうも固い虫は不得意のようです。ツバメの雛は一日に自分の体と同じ容量の餌を食べるそうですから、スズメもそんなものでしょう。これで毎日1時間ほどは給餌のために時間を割くことなりました。

6月3日
日が落ちても30度近い気温。風に当たろうとホロ酔いカゲンでコップ片手にベランダに出てみました。あちこちに蛍の灯が舞っています。今年初めての蛍を見る夕べは蚊もいなくて快適な環境。水辺の近くだけでなくゆず畑にもかなりの数が飛び交っています。子供の頃の無数の蛍とは比べものになりませんが、最近着実に蛍が増えてきたように思います。農薬を極力減らすという農村の取り組みがこんなところにも効果をもたらしてきているのだと思います。

5月30日
雨上がりの夕方、ゆったりとビールを飲んでいると「サルだ」という連れ合いの呼び声。かけつけてみるとサルがイチゴを食べた跡がありますがサルの姿はもう消えていました。イチゴを採ろうとドアを開けたらイチゴを食べている30センチくらいのサルと目が合ったそうです。母親の話では数年前にサルが屋根に登り、雨どいをゆすったりしたことがあったそうです。またこの4月下旬には近くの平出水地区でサルの目撃情報が寄せられています。ムジナ、イノシシに続きサルもここいらの住人であることが判明しました。

5月25日
分蜂その2がもうやってきました。午前9時、新たに導入した管理機の試運転をしている最中にまたもや前回と同じ場所に蜂球を発見。養蜂用の防護網で顔面と首を保護、頭にはハット型の帽子。上着はレインコート、作業ズボンに地下足袋。念のために腰をヒモで締め、腕カバーと軍手でできあがり。黒色に対しては蜂が攻撃的になるとのことなので全般的に白っぽい色で統一。胸の高さにある蜂球の捕獲作戦開始。要は空の巣箱に蜂球を移動させればよいのです。まず空の巣箱をずっと抱えているのは大変なので巣箱を載せる台を準備し、巣箱を横向きにして蜂球の左端に入り口をくっつけ、右側から箒で掃くようにして左側へ移動させること1時間。何とか全体が中に移動したので、横たえたまま設置場所に運び、すこしずつ縦に起こして設置完了。巣箱の外につかまってできる群れを2、3回掃き落としてすべてOK。こんなにうまくいくとは思いませんでした。自分の手で巣箱に誘導したミツバチはかわいいものですね。日に何回も見に行っています。

5月16日
ミツバチの分蜂に出会いました。晴天の夕方16時に巣箱近くのヤマモモの幹(直径20センチ程)に人間の顔より一回り大きいくらいのコブ状の蜂球を発見。女王蜂を中心にして働き蜂が積み重なっているところでした。古い巣箱を準備し、ミツバチに関する本を読んで作業方法を確認している最中に蜂球が半分ほど落下して乱舞し、そのまま裏山へと飛んでいきました。分蜂はミツバチの繁殖時に起こるもので、次代の女王蜂が羽化する2〜3日前に現女王蜂と約半数の働き蜂が一斉に巣から飛び立ち、いったん近くに集合し、その後営巣場所へ移動する行動である と本には紹介されています。次回の分蜂時には捕虫網で掬い取って巣箱を増やしたいと思います。

5月15日
この何日かユズの若芽欠きをしています。すこし前に枝の剪定を済ませたばかりと思っていたら、若芽がじゃんじゃん出てきています。この時期は手で面白いように欠けます。まるで雨後の庭草をとるように。しかも欠いた芽はそのまま捨てられます。この時期を逸して芽が成長して固くなった場合、ハサミで芽(その頃は枝になっている)を切り、拾い集めて焼却する必要があります。稼動がかなり削減されたように思います。若芽には蝶々の幼虫が巣くっています。柑橘類を好むアゲハ蝶でしょう。刺激すると異常な臭気を発します。また、だいぶ白い花が咲いており、色々な昆虫が花に集っています。ハナバチ、ミツバチからコガネムシの類に至るまでブンブンとうるさく飛び回っていました。しかし、夕方になり日が陰ってくると虫たちも急激に姿を見せなくなりました。代わりにブヨがブンブンしだしたのでそろそろ作業の終わり時です。この若芽は果実酒の材料になりませんかねえ。

5月8日
今日は新月の大種蒔きデー。果樹、夏野菜、花に至る16種類の種苗を扱いました。時間切れで明朝になるものもあります。芽が出て植物が成長するのは嬉しいことですが、なにぶん手間がかかります。まあまあきっちり年間スケジュールを作り、手抜きできる作目を中心に栽培に取り組んでみたいと思います。

八十八夜の別れ霜も降ることなく無事後半の連休に入った5月3日夜、今年初めてのマムシが現れました。トカゲはかなり見かけましたが、ヘビはあまり見ていなくていきなりの出現にマムシ注意警報を発令、夜間の下駄歩きは禁止になりました。
唐辛子がやっと発芽してきました。種蒔きから17日とかなりのスローペース。書籍ではピーマンの仲間では最も発芽が難しいと紹介されています。かなり気温が高くなることが条件のようです。育苗用の温室を用意する必要がありそうです。

4月30日
実家にこいのぼりを上げました。兄に初孫が出来たためです。この家でこいのぼりを見るのは初めてです。母に聞いたところ50数年前に我々兄弟用にこいのぼりをあげたことがあるようですが当然のことながら覚えていません。穴は手堀です。兄は土木系で電柱を扱っているため大小のスコップを駆使して器用に間口40センチ、深さ100センチほどを1時間足らずで堀りあげました。支柱と竹のポールは私と私の息子が担当しました。最近はチェンソーも使いこなすようになったので効率がよく作業がはかどりました。ポールをまっすぐ立てるコツをひとつ覚えました。それは近くの電柱と角度をあわせながら行うことです。方向を変えて2本の電柱を投影して行うと結構まっすぐ立てることができます。準備万端整ったところで甥夫婦が到着し、雨の切れ間をぬって無事こいのぼりが泳ぎました。

4月23日
裏山を歩いてみました。昨年と比べて今年はたくさんのタケノコが出てきています。頭の方だけ折り取って食べた跡があります。おそらくクズの根っこでしょうか、掘り起こして食べた跡もあります。先日は自宅庭にも足跡がありました。庭に積んでいたワラをひっくり返して虫でも探したのでしょうか。イノシシの仕業です。わが家は裏山からゆず畑、庭先にいたるまでイノシシとの生活共有圏なんです。石垣をほじくり返して壊すのも彼ら。夏みかんの枝に飛びさがって枝を折ってくれるのも彼ら。裏山が雑然としすぎているため、彼らにとって行動しやすい環境になっているのだと思います。最近の山は人が立ち入って手入れをしないため荒れるがままになっているというのはどこも同じなんですね。昨年の台風被害の倒木を片付け、藪を切り払って歩行路を作り、裏山の植物などの観察が容易にできるような環境つくりをやっていくことにします。

4月17日
昨夏行った挿し木の鉢上げをしました。確率で言えば30%でしょうか。まったく芽も根もでなかったもの、何本かのうち一本だけ根付いたもの、ほぼ全部が根付きプランターから引き抜くのに苦労するものなど様々です。根の出方、色や形もかなり特徴があります。鹿沼土と赤玉土という条件の差も一部に見られます。途中の水やりが多かったり、忘れたりということを差し引いてもこの程度のできばえであれば満足できると思います。さて今年は何に挑戦しましょうか。

4月3日
共有林の処分についての打合せがありました。40年程前に70名あまりで共同所有し、植林し、手入れしてきた花ノ岡ですが、後継者もなくこれから資産として持ち続ける価値もあまりないとのことで売却に踏み切ったのですが、名義人が亡くなった場合は相続人全員の同意を得る手続きがものすごく面倒で、残り9名分の同意をとるのにあと数カ月は見込まれるとのこと。また、必要書類の調達に要する費用が売却代金を上回るケースもあり、赤字になるケースは全体で面倒をみることにし、一刻も早く手続きを完了させ、代金の受領にこぎつけるということで合意ができました。世話人や司法書士、買い手の会社にもこれからもうひとがんばりしてもらいます。また、近年の山の土砂災害などを考慮し木材の伐採にあたっては災害防止を優先した方法を行ってもらうよう要請をしました。

3月27日
午後から石井公民会の総会がありました。新年度に向けて役員の交代が行われ、引き続き歓送迎会へと移行しました。1時間程度で公民館の会場を閉め新公民会長宅へとなだれ込みました。今回はお開きまで居残ってかなり多くの方と話すことができました。地域活動においては50、60ハナタレ小僧を実感した次第です。

3月19日
九州農文協セミナーなるものに参加してみました。テーマは「山里の自然と暮らし」、場所は水俣市久木野愛林館。3件の活動報告と質疑応答があり、参加者こそ30数名でしたが内容はかなりレベルの高いもので、最近すこし縁遠くなっていた高邁な文化に触れたような気がします。進行は鹿児島大学の岩元さんでした。

最初の報告は溝辺町の竹子共正会理事長の延時力蔵さんによる「竹子共正会」のあゆみと地域づくり。明治の久木田筑之助翁という方が地域融和を図り活動資金を捻出するために山林取得に奔走し、350町歩を確保して共正会の基礎を創設。以降「山には木を、里には人を」を会是として地区民全員による山づくり、校舎づくり、道路の改良工事、産業振興など地域興し、人づくりが行われてきた。その思想は現在も受け継がれ、青少年育成活動、高齢者の生きがい活動、食と農・自然環境整備活動などを活発に行っている。竹子地域は鹿児島空港より西へ9キロ。385戸1195人(うち農家80%)の住む純農山村地域です。また、前鹿児島大学副学長で今は竹子住人である萬田正治さんによる棚田の保持活用の取り組みが紹介されました。

次に北九州市合馬地区のタケノコ生産による自然村の存続について熊本大学の徳野さんの報告がありました。北九州という100万都市の中にあって農村としての形態を変えずにこられたのは、56戸のタケノコ出荷組合が毎年1億円程度を売り上げるという安定した経済基盤があり、地形的に人の出入りが少なく農業振興地域として農地が守られており、タケノコ振興会を中心とした村づくり協議会が自治連合会とタイアップして活動がなされていることが要因と言えるようです。

最後に地元からの報告として芦北町古石地区で160町歩の林業を営む池松恵子さんの地元産木造住宅を普及させていこうとする取り組みが紹介されました。18枚の棚田(広さ5反)も耕作しており、何よりも毎年の畦塗りがきついとのことです。それから広島県立大学の前川さんより「地域コア施設の社会的インターフェイス機能について」の報告があり、広島県三次市君田町の温泉施設を中心とした道の駅「フォレスト君田」とここ「愛林館」の機能についての分析が披露されました。また、愛林館館長の沢畑亨さんから自称”日本一”の棚田(寒川地域)の保全活動や久木野の地域おこしへの取り組みが紹介されました。この沢畑さんは館長に公募しただけあって、行政や大学教授などを相手にかなりの議論をやってきているとな感じさせます。前職を尋ねたところ院で林学を専攻し、その系統のコンサルをやっていたが空論に飽き足らず現場で活動する途を選んだとのこと。強烈な主義主張が感じられます。

13時より17時の予定を1時間もオーバーしてしまい、引き続き懇親会に突入し夜なべ談義が予定されていましたが、車できているため今回は見送り。しかし、村から30分のところにこのような人がいて組織があって活動しているということは大きな発見でした。
  

3月14日
友あり 遠方より来たる また楽しからずや
連れ合いの友人二人がはるばる関東からやってきました。息子が幼稚園の頃からのつきあいなので20年来でしょうか。初めての鹿児島ということで南薩方面の観光に出かけました。
前夜の降雪次第では宿泊先の鹿児島市内までたどりつけないかなと心配しましたが、道路凍結もなく無事到着。まずは久しぶりの再会に感激。ホワイトデーにふさわしく?、桜島も雪化粧で歓迎してくれました。

9時に一路 知覧町の武家屋敷に向けてスタート。小雪が舞うあいにくの天気。団体客が目立つ月曜日でした。順路を一巡した後、特攻平和会館へ移動。今回初めて説明員(ボランティア?)の方の説明を聞きました。数十名の特攻隊員の悲しい最期を実物の写真と辞世の句を交えて20分程度を一気によどみなく話してくれました。我が子を先に旅立たせる明治の母の悲痛な叫びが聞こえた思いがしました。

昼食のあと、特産のヤキイモをほおばりながら池田湖から長崎鼻へ。薩摩半島の最南端とはいえ上がらない気温に震えながらの記念写真。
砂風呂で温まろうと指宿に移動。足湯を尋ねたところ「吟松(ぎんしょう)」さんを紹介されました。さっそく問合せたところ時間帯があえばやっているとのこと。ラッキーでしたね。干潮時刻の前後50分がOKということでした。入浴道具一式(スコップ、すのこ、生卵)を借り受け、ホテルの専用草履を履いて海岸へ。砂地から湯気があがっているあたりに繰り出しました。高温のためヤケドしそうになりながら脚が赤くなるまで浸かりました。およそ30分。かなり温まり満足し吟松へ帰る途中、湯気のない場所で脚を埋めている人に出会い、本来はこのようなスタイルだよと教えられて一同納得。
気になる料金は無料で、貸しタオルがひとり100円。しかも従業員の方の接客態度は満点。ここは南国の楽園かなと大いに納得。こんど自分でも泊まりたいおススメの旅館です。
気をよくしたついでにゆずの未集金の回収に立ち寄ってみたところすぐに支払いがあり、ますます快調。ついでに指宿の木市に顔をだしたところ長年探していた獅子ゆずの苗をゲット。おー、完璧に懸案解決。
気分をかるーくして帰路につき、渋滞もなく宿泊先へ無事送り届けることができました。

次の日は所用で案内できませんでしたが、桜島から垂水を回り海上からの観光を楽しんだ後に、無事羽田に着いたとのこと。
第一回目の薩摩の旅はまあまあの出来だったでしょうか。次回の旅は北薩のとある村を基地にして農作業体験コースを主体に計画しますので楽しみにしておいてください。Tさん、Yさん、お疲れ様でした。
  

  

3月1日
サクセス講座なるものに参加しています。これは伊佐地区の活性化を図るため起業を後押ししようとするもので、伊佐地区産業活性化協議会が主催しビジネスサポート有限会社に講師を依頼して勉強会を行っているもので、昨年11月に開始して第6回まで終了しあと1回を残すのみとなっています。日本経済の今後の読みと対策に始まり、それを鹿児島県として、そして伊佐地区としてどのように展開するべきか、また、個人としてどのような方向に進むべきか分かりやすい解説がありました。事業化にあたっての具体的なステップが理解でき、また、地域が一体となって取り組むことが成功の条件ということがわかりました。最終回は各個人の事業プランを完成させ、地域と連携した活動を展開する会が組織されそうな様子です。

2月13日
部落の総会がありました。17年度の役員を決めることが主目的の総会です。会長以下執行部のメンバーを参加者全員が投票にて選びますが、まだ人をよく知らないので記名には苦慮しました。めでたく執行部が決まり、続いて各班の執行体制は班ごとの話し合いで決められ、和やかな雰囲気の中で4月からの運営体制が決まりました。実に多くの役割があり、この集落の歴史はこのような活動で支えられ構築されてきたのかと思いを巡らせたところです。

第10回「氷の祭典」アイスカービングin大口が1月29日から30日にかけて行われました。氷の彫刻11基と氷のすべり台、開会セレモニーでは太鼓やバンドの演奏、そして夜市、朝市での特産品の販売などがありました。私の属する山野王国は、今年もうどんを中心とする暖かいメニューを準備して17時からの夜市へ参加しました。途中、雨がパラつくなどして見物客の出足がイマイチで、また寒さが増してきたのが深夜近くになってからということもありなかなか商品が売り切れにならず、24時を過ぎてから閉店にとりかかり、とりあえずの片付けが終わり解散したのは午前2時前になってしまいました。久々の配膳や呼び込みに接客のカンどころをよみがえらせた楽しい一日でした。
  

1月27日
通院ドックに行ってきました。1年半ぶりです。今回は発見がありました。それは病院の応対です。通常、病院での扱いは「診てやる」をおおいに感じさせますが、その点、鴨池の今村分院は例の「お客様は神様です」を感じさせるぐらい客に対する挨拶、話し方、通りかかった時の目配り気配り、検査に入る前の十分な説明。どれをとっても関係者全員が接客業に匹敵するものだと思います。病院の理想的なあり方を見た思いで感動しました。

1月24日
大口市の新春農政講演会がありました。
まず、大口中学校下の陣之尾エリアの小組合の集団転作を行うにあたっての苦労と工夫について事例発表が行われました。
次に、えびの市の西長江浦地区の集落営農と地域活性化の取り組みが紹介されました。この地区は霧島連山の湧水を源流とする長江川の氾濫に長い間苦しんできたが、河川の改修と圃場整備が一体化して行われ、同時にむらづ゜くり活動を積極的に展開し、5年ほどかけて子供から高齢者まで集落住民すべての人々が知恵を出し合い協力しあって、仲良く住みよい集落を構築する習慣を作り上げた。この習慣を基に高齢化に対する備えや地域の将来像を描きながら生産組合を設立し、より大型の機械の導入などにより受託作業の充実を図り、また、地域の営農や生活環境の充実を図る機運の高まりを受け、むらづくり協議会を設立し、地域における文化・教育・経済・福祉活動を積極的に展開してきた。その結果、現在では生産組合のほか子供育成会、青年部、婦人部、高齢者クラブ、水田部会、竹林部会、畜産部会、野菜振興会、特産部会、加工グループ、大太鼓踊り保存会、むらづくりニュース編集委員会というように農業生産面や生活文化面を通して82世帯269人全員が自分の活動の場を持ち、毎日を自信をもって生き生きとすごしており、理想的なむらづくりが行われている先進地域としてお手本にしたいものです。

1月21日
農業機械士養成研修に参加しました。農業機械を使っての作業中の事故がなかなか減らないため、機械の点検整備や安全な使用方法など農作業全般についての安全確保について理論と実技を5日間にわたり勉強しました。
17日早朝は県内の山間の道路はあちこちで凍結しており、吹上町にある県立農業大学に着くまでは8件ものスリップ事故を横目にかなり慎重な運転でした。
一般の研修生17名にまじり成人前の農大生11名と一緒のクラスとなり、開講式の後さっそくトラクター(大型特殊)の免許検定に向けての運転実習に入りました。トラクターが7台のため交代での練習ということもあり放課後や早朝にもライトを点けての必死の時間外練習でした。A、B2つのコースを練習しておき、検定の直前にアミダでコースを決める方式のため、コースがかなりごちゃまぜになります。トラクターの運転では巻き込み防止を意識した確認がポイントのようです。3日目の午前で検定が終わるとすぐにプラウという機械の技能検定にむけての講義と実技です。昔、馬に大きな鋤を引かせて田起こしをしていたものですが、その鋤を2本並列にしてトラクターで引き土の天地返しをするという代物です。これはかなり重く3点で固定するものなので、取り付ける際はピッタリする位置にトラクターをバックでもってくることが必要です。限られた時間での取り付けと取り外しのため焦りが生じてしまいます。田嶋君も思わず小走りになっています。そのほかトラクターを正しく点検する実技試験と道具を正しく使う実技試験があり4日目が終了しました。最終日は初めて天気に恵まれ125馬力の大型トラクターで砕土整地の実習があり、そしてこれまでの講義類の集大成の学科検定で養成研修は終了しました。指導力の豊富な教官に恵まれて幸運でした。竹之内さん、伊藤さん、西さん お元気で。
  

1月13日
ゆず枝の剪定をしていたらウグイスが近寄ってきてちっとも離れません。ジッジッと地鳴きをしてえさを探しているようです。昼からもまた顔を出しました。どうも気に入られたようです。

1月9日
消防の出初式がありました。今年は県内初のはしご乗りの演技があるということで、寒風吹きすさぶなか見学にいきました。地元の消防団からも親戚の武人君が3番手で出場し、見事な演技を見せてくれました。全体にビシッと引き締まった進行のもと無事に式典は終了しました。関係者の皆様、お疲れ様でした。
なお、我がほおじろ庵を作ってもらった西ハウスさんは長年消防活動に取り組んでおられ、高さ7mほどのこのハシゴも安全を特に意識して製作されたものということです。
       

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